修士卒 or 博士進学?
学部生が大学院に入る時,修士卒を目指すのか,博士進学を目指すのかは大きな違いがある.最も大きな違いが出るのは,テーマ選択である.テーマを学生が自分主体的に選択するのか,それとも指導教員の提案から選択するのかで,大きな差がある.
修士卒
修士卒を目指す場合,指導教員が具体的に提案するテーマから選択するのが恐らく普通だと思う.自分でテーマを選択するには修士は短すぎるからだ.修士卒を前提とする場合,就職活動の時間を見込むと2年間フルに研究・勉強に費やすことはできない.恐らく,半年程度を就活に費やし,先行研究の勉強に半年程度は費やすことを考えると,研究には1年程度しか費やすことはできない.しかも,修論執筆に3カ月程度かかると見込むと,ピュアに研究に費やせるのは9カ月程度だろうか?つまり,難しいテーマを与えることは出来ず,すぐ風呂敷を畳める程度の小規模なテーマを与える必要がある.詳しい人が見れば,「ああそれは半年あれば十分解けそうだね」と直観的に思える程度の規模感のテーマを与えるべきだと思う.更に,基本的に原著論文を書くことを前提せず,「運良く進展が早ければ原著論文を1本書くことにチャレンジできるかどうか?」という程度の温度感だと思う.その意味で,修士卒を前提とする場合は可及的速やかに教員に伝えた方が良い.
博士卒
博士卒を目指す場合,教員によってテーマ選択に大きな幅がある.一般的に博士卒を仮定するなら,5年程度かけるに相応しいそれなりの規模のテーマを教員は提示してくると思う.一般的に博士卒時点で,その学生はそのテーマに関して,どれだけ狭くても良いので「世界で最も詳しい研究者」になることが望まれている.そういう字名を与えるのが相応しい程度には,世界の誰もすぐに答えることが出来るかわからない『非自明なテーマ』を与えるのが良いだろう.そして,博士論文は原著論文3~5本程度で構成できる程度のテーマ感が相応しいので,『体系的に明らかにするには論点が3~5点に分割される程度の規模の問題』が良いと思っている.これは修士卒向けのテーマとは大分規模感が違う.
また,純粋な理論系の研究が好きなら,教員からかなり独立に行うことが出来るような理論テーマを自分で探してもいいかもしれない.これは理論系のメリットであり,学生時代から独立した研究者を目指すのはあり得ると思う.ただし,あまりに教員のテーマから離れると,指導教員は適切にアドバイスできなくなる.また,指導教員の外部資金系の予算を使用できなくなるため,出張や論文出版の時にそれなりに金銭的に不利になるかもしれないので,practicalな問題調節は考えた方が良い.
修士卒か博士進学かを迷っている学生
このケースの対応は迷うことが多いが,修士卒を前提としたテーマを与えようと金澤は考えている.つまり,修士卒を希望する学生と見なして接する.博士卒を前提に大きめのテーマを与えて,後から修士卒に変更するのはリスクがある.就活に費やす必要がある時間を過小評価しない方が良いと思っている.その意味では,大学院入学後の出来る限り早めの時期にどうする予定なのか決めた方が良い.
余談
ところで学生からすると,教員に対して博士進学希望かどうかを隠すincentiveがある(特に入学前)と思っている.これは金澤が学生の時からそうだったが,「博士進学を匂わせた方が,学生として取ってもらいやすいのではないか?」と推察しているのだと思う.こういう想像はとても理解できることで,殆どの大学教員は博士進学学生を指導したいと思っている事が多い.理由は明白で,D進学生と共同研究した方がPIとしての研究が進むからである.また,もしアカデミアに残ることを希望する学生であれば,それはある種の「弟子」として長期的な関係を視野に入れるものである.大学院は別にアカデミアのためではなく,産業界への高度人材排出のためでもあるが,「アカデミア内部での弟子の育成」を意識している教員は今でもとても多い.これは業界構造を考えるとそうなるのは当然である.つまり教員と学生の間にある種の利害対立の側面があると思う.
以上を踏まえ,あまり金澤は博士進学について学生に質問することに意味があるとは思っていない.回答内容の真偽が不明だからだ.というより「迷う」という表現は実際は迷っておらず修士卒を決意しつつも,指導教員には曖昧に回答している場合が多いと捉えている(もしそうではない場合は,かなり明示的に「どういう迷い方をしているのか?」をこちらに伝えて欲しいが,学生目線では難しいのかもしれない).正直,入学した後でも博士進学の希望について指導教員に曖昧に話す意味はどこにもないと思うのだが,こればっかりは構造的に仕方ないとも思っている.
なので,博士進学を積極的に志望しない限りは金澤は修士卒を前提としたスケジュールを組もうと思っている.実際問題,修士は就活を合わせると非常に短いので,迷う時間はあまりない.また,研究がとても好きな学生は,アカデミアに残るかどうかは別として,博士課程に関しては勝手に進学してしまうと思う(教員が薦めたから行くのではなく,勝手に自分の意思で行ってしまうものである).例えば僕の過去に見た学生では,修士卒を希望していて絶対にアカデミアには残らないと豪語していたが,いつの間にか博士に進学し,最終的に助教になってしまった学生がいた.彼に関しては「理性では行かないと思っていたが,どうしても耐えきれず,いつの間にか研究者になってしまった」と言っていた.知識欲や研究熱はある意味では「病的」であり,研究者になりたい人間はどうせ勝手に研究者の道を一度はチャレンジしてしまう.それこそ一旦就職しても,社会人をやめて博士進学してしまう人も複数人見てきたので,そういうものだと思う.
ちなみに金澤の学生時代に関して言うと,アカデミアに残るかどうかは別として,博士進学は迷っていなかった.金澤はそれなりに保守的な人間のつもりなので,研究結果が十分に学生時代に出なかったら民間就職するつもりだったが,修士課程は短すぎるので,そういう「迷う時期」は博士課程中に設定しようと思っていた.修士中に金澤が決めていたこととして,「大学院中に達成すべきパフォーマンス基準を事前に設定し,それを充たさない場合は機械的に企業就職することに決め,そうでない場合はアカデミアに残ることを目指す」と修士中に決めていた.金澤の友人も「事前にパフォーマンス基準を設定して,博士卒後の進路を半ば機械的に決定する」というライフハックを選択していた人は多かった.
金銭的な問題について
ところで博士進学を迷う一番の理由が単純に金銭的な問題なのであれば,指導教員にハッキリ聞けば良いと金澤は思っている.外部資金を持っていれば,RA/TAとして雇用してくれる可能性がある(もちろん,雇用しても良いと思う程度に優秀だと教員に思われている必要があるが).もちろん,研究テーマは外部資金のテーマにある程度沿うことになるが,学生機関の生活費くらいは確保できる可能性がある.外部資金がどの程度あるかは時期に強く依存するので,教員も明確に保証できることは少ないかもしれないが,そもそもの外部資金を取ってくる動機の一つに「学生がRA雇用して欲しいと言ってきたから」というのはある.つまり,学生中での金銭面での援助について事前に相談しておけば,その教員が将来的に外部資金を取ってくるために色々努力してくれる可能性が上がるのではないかなと思う(少なくとも金澤が外部資金を取ってくる大きな動機の1つは,博士学生と博士進学を希望する修士学生にRA雇用費を確保することである).
人生は一度きりなので,後悔しない人生が送れると良いと思う.「後悔しない人生を送る」というのは結構難しく,「博士進学して後悔する人」もいるし,「博士進学せずに後悔する人間」もいる.相談をしても誰も損をしないので,相談だけはしても良いと思う.